海辺のカフカ 村上春樹著

村上春樹史上、最高傑作!?

海辺のカフカ、その聞きなれない言葉に興味を覚えた僕はその本を手にレジへ向かった。

帰る電車の中、はやる心を抑えられず、本を開いた。その日のうちに上巻を読み終え、下巻を読み始める。続きが気になって仕方ない。結果、2日で読み終えてしまった。

村上春樹といえば、「ノルウェイの森」や、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、そしてこの「海辺のカフカ」の小説が有名という印象を持っている。個人的に村上龍の方が好きだ。

今回、この小説を読んでみて正直、唸ってしまった。リアルにだ。物語の展開、登場人物の関係性、文体の綺麗さ。どれを取ってもお手本になるような小説だなと感じたからだ。今まで、多くの小説を読んできたが、今の今までこの本を読まなかったことを本当に後悔している。いや、多くの本を読んだからこそ、この良さに気づいたのかもしれない。


運命というテーマ

「運命」この言葉をちゃんと考えたことのある人は少ないのではないだろうか。その中の一人に僕も含まれている。

 運命は変えられっこない。すでにこの世の中で起きることは神によって決められていて、人間のちっぽけな感情で動くほどこの世界は甘くない。僕はそう子供の頃から思い込んで、考えることから逃げてきた。


ある場合には運命っていうのは、絶え間なく侵攻方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると嵐も君に合わせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。するとまた嵐も同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な何かじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから、君にできることといえば、諦めてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかり塞ぎ、一歩一歩通りに蹴ていくことだけだ。(本文より)


この小説を通して、僕が感じたテーマは「運命」という言葉だ。主人公田村カフカは父親から伝えられる「ある運命」に抗うように四国、高松へやってくる。そこで出会う大島さん、佐伯さんという人たち。彼らもまた、自身の運命に左右されながら、日々を生きている。

そして、時同じくして高松へ動き始める中野区のナカタさん。初老の、字が読めない、生活保護を受けている男性。彼もまた、自身の運命によって生きている。

一見すると、全く関係のない人たち。だが、この人たちは「ある運命」に導かれるように交わり合うのだ。


そしてもちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。その激しい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のように鋭く生身を切り裂くんだ。〜中略〜 そしてその砂嵐が終わった時、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生き延びることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いや、本当にそいつがさってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でも一つはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れた時の君じゃないっていうことだ。そうそれが砂嵐というものの意味なんだ。(本文より)

この小説の中で、僕が気に入ったのはホシノさんというナカタさんと一緒に行動を共にする若者だ。彼は中日ドラゴンズの帽子をかぶり、おせっかいとも見えるほどナカタさんと行動を共にする、なぜ彼はナカタさんと行動を共にするのか?


「運命」を踏まえて

「運命」それは変えようのない定め。砂嵐の中でもがき、苦しむ。でも、そこから出てきた時、君は元の君じゃなくなる。読めば読むほど味が出るこの小説。先ほども述べたが、今の今までこの小説を読まなかったことを後悔した。そんな小説だ。


この小説は以下のURLから購入することができる。

文芸群青

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